同じ元ヤンでも“格”が違った!! 元タレント木下優樹菜(32)が、活動再開を発表しながら、わずか5日で引退となり世間を騒がせた。「私らしく頑張っていきたい」と宣言した舌の根も乾かぬうちに、前言撤回とはヤンキーらしくない。自ら元ヤンを公言し、それをキャラにしていた木下だが、実は気弱な性格…。かつて美人女優・佐々木希(32)に対して“メンチ合戦”を仕掛けた木下だったが、あえなく完敗していた意外な事実があったというのだ。
https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/news/1964655/
ヤンチャ者が多い下町、東京・葛飾区出身の木下は、物心ついた時からヤンキーだった。
「中学時代には副番長を務めていた。タイマンで勝負し、優勝すると番長になれるトーナメントが行われ、惜しくも決勝で敗れたため、副番長の座に収まったそうです」と芸能プロ関係者。
「三つ子の魂百まで」ではないが、それは2006年に芸能界に入ってからも変わらなかった。本人は元ヤンであることを公言、周囲の同世代のモデルたちにもニラミをきかせていた。
そんな木下の前に立ちはだかったのが、地元・秋田ではかなりのヤンチャで知られた佐々木だ。同い年の2人の出会いは、ギャル系ファッション雑誌「PINKY」(09年に休刊)とされる。
06年の「第2回プリンセスPINKYオーディション」でグランプリを獲得した佐々木は、同年から同誌の専属モデルとして不動の地位を築いていた。
一方の木下は遅れること2年、08年から同誌の実習モデルを経て専属モデルに昇格。そこで“タイマン”を仕掛けたというのだ。
「木下のヤンキーの後輩だかが、佐々木のことを知っており、こうささやいたそうです。『姉貴、佐々木希ってのは秋田で名前が知られているらしいです。生意気だからシメてやりませんか。じゃなければ格好つかないじゃないですか。やっぱり姉貴が一番だってことを思い知らせてやりましょうよ』」(芸能関係者)
このように空気を入れられたら、木下としても黙っているわけにはいかない。
「秋田だか何だか知らねぇーけど、ここは東京だよ。東京に来たからには東京の流儀に従ってもらうしかねぇーだろ! ま、ちょっとシメてやるか。最初が肝心だからな」とタンカを切ったというのだ。
もちろん佐々木はそんなやりとりがあったことなど知る由もない。一方の木下は完全に“戦闘態勢”で初対面の場に向かった。専属モデルとしては先輩にあたるため当然、木下の方からアイサツしなければならないが、その代わりにメンチを切ったという。
いよいよタイマンか!? しかし、木下の口から出てきたのは「このヤロー!」でも「なめんなよ!」でもなく、「私、木下優樹菜と申します」「ぜひ、仲良くしてください」とへりくだったものだった。もちろん佐々木としては断る理由もなく、何事もなく温和な雰囲気で初対面は終了した。
驚いたのは木下のヤル気満々の言動を知っていた周囲だ。その人たちに向かって、木下はポツリこうつぶやいたという。
「やべぇ~よ。あの目はモノホンだよ。アイツにだけは手を出さない方がいい」。その後、2人が仲良くなったことは多くの業界人が知るところだろう。
くしくも現在、木下、佐々木とも大変な目に遭っている。もはやこれまでと引退の道を選んだ木下に対し、佐々木は自分に非がまったくないどころか“被害者”にもかかわらず、不貞を重ねた夫・渡部建を支え続けている。やはり木下とは肝の据わり方が違う!?
この一件をきっかけに、木下と佐々木は仲を深めていき、一時は親友と呼ばれるほどだった。
「雑誌だけではなく、日本テレビで放送された『レコ☆Hits!』でもレギュラーMCとして共演。いつも本当にスタジオで仲良さそうだった。ほかにも毎週、若い女の子のモデルが出ていたのですが、2人はそれを寄せ付けないオーラを放っていたことを覚えている」(番組スタッフ)
しかし木下は藤本敏史、佐々木は渡部と結婚し、それぞれ出産してママになった。タピオカ騒動が起こる前でも、お互いのSNSにそれぞれが登場することもなくなり「疎遠になった」という話も出ていた。
先月27日放送の「さんまのお笑い向上委員会」(フジテレビ系)に出演した藤本は、明石家さんまから「希ちゃんとフジモンの元奥さんが大親友」と指摘されると「昔はそうでしたけど、(いまは)分からないです」と返答。
さらにさんまから「どこから連絡、途絶えた?」とツッコまれると、藤本は「タピオカからや」と答えた。ただ「そう言われたら(タピオカと)言わないと仕方ない」とも口にしていただけに、ジョークの可能性も否定できない。
衝撃事実発覚!「元ヤン」タイマンバトルでユッキーナが佐々木希に完敗! モデル時代に返り討ちに
投稿日:
-
-
-
-
B! -